現在の取り組み

私の今の取り組みは、本質的なフィットネスの視点から、あなたに合った運動をお伝えします。

40代女性が、好きなときに、好きなことを、好きなだけできる健康な身体で、仕事もプライベートも、もっともっと充実してほしいと願っています。

運動指導者として、19年間で延べ93,000人以上に携わった経験と、専門学校非常勤講師・運動指導者養成に携わった経験から、わかりやすく伝え、元気になってもらえるようにすることが得意。

女性向けプライベートレッスンとして、動けるカラダと理想の体型を手に入れるための「健康美体エクササイズサポート」も提供しています。

今の私があるのは…

健康の大切さや人生の豊かさについて考え始めるようになったのは、私が大学生の頃、母が大病を患ったことがきっかけです。

この大病を境に、運動好きだった母が運動に消極的になり、体力が低下し、更には体力に対する自信のなさから、ちょっとしたチャレンジもしなくなってしまいました。

これは私が大学4年生、母が50歳少し手前頃の出来事です。
母にとって初めての1ヶ月以上もの長期入院は、私の想像以上に母の気力も体力も低下させてしまったようです。

生死をさまよう程の大きな病気をした精神的落ち込みもあると思いますが、1ヶ月間ほぼ寝たきりの生活により、自信のあった体力までもが低下してしまい、「外を歩くのが怖い」と言われたときは愕然としました。
子供の頃、一緒に走りまわったり、ドッチボールをしたり、アスレチックで遊んだりしていた母の姿からは想像もできない言葉に、私も混乱してしまったのです。
それでも、時間が経てば以前と同じようにアクティブな母に戻ると信じていました。

ところが…

それは叶うことなく、折りに触れ、ますます悪化している様子を今も目の当たりにしています。
  
私が大学を卒業し、自立したら、それまで私のために優先してきた時間とお金を、母が自分のために使うことができるはず…..
でも、健康でなければそれも難しい。
母の人生はこれでいいの??
そう想像したときに、無性に悲しいような申し訳ないような気持ちになりました。

一緒に旅行をしたり、アクティビティを楽しんだり、現地で美味しいものを食べたりしたくても、今となってはかなり限られたものしかありません。
もう少し歩けばもっと綺麗な景色が見られるとわかっていても、連続で300m歩くことも困難な母には超高難度なのです。
まだ知らない素敵な場所を訪れたり、そこで母と感動を共有したくても、なかなか出来ないもどかしさを感じています。

それを少しでも叶えるため、フィットネスで得た知識をもとに、簡単にできる運動を母に勧めるのですが、1週間後に様子を尋ねると「しんどくなかったら、やる」と言われる始末。
「ちょっとでもやらないから、余計にしんどくなる」ということを伝える私。
このようなやり取りを15年以上何度も繰り返しているのですが、望みが叶うばかりか、家で尻もちをついて骨折してしまうような不健康まっしぐらなありさまに、ますますもどかしさを感じる日々です。

長年の夢を諦めて、仕方なく始めたフィットネスの仕事…

そして、幼稚園児の頃から憧れていた「学校の先生」になるための教育実習を受けたのですが、私の思い描いていたようなものではありませんでした。教育実習の時に感じた変なしがらみや風習に嫌気が差し、長年の夢はあっけなく挫折してしまいました。でも、挫折というよりは断捨離のような感覚でした。

そして、長年憧れていた教職なので、長〜いハシゴを一気に外されたような気分で、次のことを考える気力もわかなかったのです。

そのような状態でしたが、とりあえず教員採用試験だけは受けることにしました。
教員採用試験は一般企業の採用試験よりも時期がずっと後になるので、この時点での一般企業への方向転換は、かなりの本気度が必要になります。
私にはそれもありませんでした。

当然のことながら、教員採用試験に受かるはずもありません。
焦る気持ちもなかったので、少し時間をかけて次のことを考えてもいいなぁと思っていたところに、母が見つけてきたのは、皮肉とも取れるフィットネスの仕事です。

母が受付アルバイトをしていた横浜市のスポーツセンターで、トレーニング指導員の補充採用があるという情報を公募前に入手してきたのです。

その頃の私は、フィットネスに対するイメージがとても悪く、ハムスターの回し車でせっせと運動させられているようで、人工的に獲得した健康の何がいいのか全く理解できずにいました。
馬鹿にしていた「ハムスターのように運動させられている人」をたくさん見ることになるの?? と思いましたが、就職浪人させたくない雰囲気を醸し出す母に言われるがまま、採用試験を受けることにしました。

そして、産休代替として期間限定の採用となり、予想通り母と同じ施設に勤めることになり、トレーニング指導員として技術も知識も身に付けなければなりません。

必要に迫られて仕方なく始めたストレッチやトレーニングの勉強ですが、実践してみると自分の体が変化し、楽しくなっていきました。
1ヶ月後にはウエストが5cm細くなり、3ヶ月後には上手く動かせなかった筋肉が動かせるようになったり、鏡で見る自分のボディラインの変化に気付けたり、取り組めば取り組むほど、体が変化する喜びを感じていました。

しかし、現場では勉強不足を痛感させられる場面が数多くあり、その経験が今も学びのモチベーションになっています。
そして、学びの一環のつもりで100時間のエアロビクス養成コースも受講しました。

この養成コースは、当時の私でも名前を知っている有名インストラクターが不定期開催していたものです。
エアロビクスインストラクターになるつもりのなかった私は、これをチャンスとも思わず、聞き流そうとしていました。
ところが、交流のあったインストラクター(のちに養成コースの先輩になる人、今は業界でかなり有名)に言われたひとことが胸に響きました。
「目の前にある選択肢を選ばなければ、その先の選択肢を見ることすらできない」と。
この言葉がきっかけで、養成コースを受講することを決めました。

養成コースではエアロビクスインストラクターとしてのテクニックよりも大切なことをたくさん学びました。
自分自身を振り返るときに、今もこのときの先輩の言葉と養成コースでの学びを思い出します。
私の仕事に対する姿勢の原点になっています。

養成コース卒業直前に、力試しとしてスポーツクラブの採用オーディションを受けてみたところ、20人中3人の採用枠に入ることができました。
卒業前にエアロビクスインストラクターとしての仕事が決まり、そこから順調に仕事が増えていき、エアロビクスインストラクターとして独立することになりました。

養成コースで大切なことをしっかり教えてもらっていたので、大きな不安はなく独立することができたのです。

私の想いと目指す目標

エアロビクスインストラクターとして独立し、更に多くの人と接する機会が増え、運動の大切さを改めて実感するようになりました。

脳梗塞で片側が思うように動かなくなり、しょぼしょぼ歩くことしか出来なかった人が、私が担当するエクササイズクラスを受け続けたことで歩行速度が上がった、と嬉しそうに話してくれることがありました。

また、エアロビクスクラス常連の人は、趣味の山歩きで、一緒に行く仲間よりもいつも元気に歩けていて楽しい、と教えてくれました。

このような話を聞き、私は無意識に不健康まっしぐらの母と比べていたのかもしれません。
簡単な運動でさえ、なかなか取り組まない母は、スポーツクラブのお客様より活力も体力も低下していることが明らかでした。
知識として知っていた「運動が及ぼす精神的・肉体的に良い影響」を痛感しました。

なかなか運動に取り組まない、不健康まっしぐらの母を見るたびに、悲しい気持ちになりますが、母のような人が増えて欲しくないと、いつしか強く願うようになりました。

便利な世の中では、気を付けておかないと身体活動量が少なくなる危険性があります。
どんなに健康な人でも、適度に筋肉を使わなければ確実に衰弱してしまうので、身体活動量が少なくならないよう注意しなければなりません。
その意味で、私は、衣食住と同じように「運動」も大切だと考えています。

運動指導を通して、チャレンジしたいこと、好きなこと、やりたいことに対し、健康・体力面の不安なく生き生きと取り組める人が増える社会を目指しています。
この目標に向かい日々頑張っています。